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セミナー&シンポジウムの記録

2012年春季・共同セミナーシンポジウム 参加記
白鳥 まや (総合文化研究科 地域文化研究専攻・IGK所属)

 2012年3月9日から13日まで、東京大学とマルティン・ルター・ハレ・ヴィッテンベルク大学(以下、ハレ大学と略)合同の日独共同大学院セミナーが開催されました。昨年のセミナー期間中には東日本大震災が起こったこと、かつ今回のセミナー期間中に3月11日を迎えることから、今回は日独市民社会比較というこれまでのセミナーに一貫していた視点に加え、日本における市民社会の中でもとりわけ地震後の市民運動に着目したテーマ設定でした。
後に詳述する、七沢潔氏(NHK放送文化研究所主任研究員)による原発事故についての特別講演、そして震災からちょうど一年にあたる3月11日に開催されたシンポジウム「ポスト3.11の日独市民社会」がその点をよく示していると思われます。

 日独共同大学院のセミナーは通例、担当教員もしくは市民社会研究に従事している研究者があるテーマについて発表し、その後グループに分かれ当該テーマについて学生同士で議論を行い、最後にその成果を発表し合うという形式のモジュールと呼ばれるワークショップと、日独双方の学生による研究発表が柱となっています。今回のセミナーでは3つのモジュール、7つの学生報告が行われました。
   セミナー初日に行われた川喜田敦子先生(大阪大学)のモジュール「歴史教育と市民」では、現代の国民国家(Nationalstaat)と市民社会(Bürgergesellschaft)の発展は互いに緊密に結びついているという歴史的観点から、国民国家における国家と市民の関係性やその変遷について、「国民citizenship」や「市民性Zivilität」といった概念を手掛かりとして、日独の歴史教育の比較という例を交えながらお話し頂きました。モジュール後のグループディスカッションでは、まず過去の歴史と現在とはどのような関係にあるか、歴史は現在を理解するために必要とされるものなのだろうかといった問題が提示され、どのように歴史を記述するべきか、国家の歴史としての歴史記述以外の可能性があるかどうかという点について議論がなされました。
 梶谷真司先生(東京大学)のモジュール「教養と市民」は、2011年5月に完成した駒場キャンパスの新たな教育施設である理想の教育棟で行われたこともあり、「理想の教育」とはどのようなものなのか、またどのようなものであり得るかという問いから出発し、日独双方の学校教育制度の違いや各制度が抱えている問題についてオープンに話し合うことができました。高校・大学受験や、そのための予備校、塾といったシステムはドイツにはない現象であるため、その点についての疑問はハレ大学側の参加者から多数寄せられました。大学受験や学校教育に関してはセミナー参加者各自の体験があるため、お互いの制度ないし体験についてドイツ語で説明し合う良い機会ともなりました。
 井関正久先生(中央大学)のモジュール「社会運動と市民社会」では、主に1968年の学生運動について日独比較の観点からお話し頂きました。その中で、日本では68年の学生運動の研究者はまさに運動の「当事者」すなわち活動家であったことから、学生運動を社会運動として学術的に研究することはタブー視する傾向があった点、しかし1990年代以降、若い世代の研究者の登場により、学生運動が学術対象として扱われるようになったという経緯が示されました。他方ドイツでは、日本より早い時期から研究が行われ、68年の学生運動は政治や社会の民主化のみならず、アメリカ文化の拡散や、いわゆるサブカルチャーの発展にも影響を与えたという認識があるようですが、この点をどう評価するかについては様々な見解があるようです。日本における学生運動の例として、東大紛争の様子が当時の映像と共に取り上げられましたが、これはドイツ側の参加者の関心を引くものだったらしく、次回セミナーの際には本郷キャンパスを見学したいという希望が出されました。
 なお、セミナー期間中に行われた学生報告は日本側が6つ、ドイツ側の学生報告が1つ、発表は質疑応答も含めすべてドイツ語で行われました。今回のセミナーではこれまでの学生報告とは異なり、各自パワーポイントを使用した発表を行いましたが、この方式により、日本側の学生にとっては母語ではない言語で自分の研究について発表するという課題に取り組むことに加え、専門的な研究内容をコンパクトにできるだけわかりやすい形で伝えるというプレゼンテーション能力も養うことができたのではないかと思われます。

   以上の催しに加え、今回のセミナーにおいて日独双方の参加者が非常に高い関心を寄せていたものが次に述べる特別講演とシンポジウムであったと思います。
 セミナー2日目にあたる3月10日に催された七沢潔氏の講演「福島第一原発事故と日本の市民社会―チェルノブイリ後のドイツとの比較を交えて」では、福島第一原発事故後の日本の社会、メディアの反応をチェルノブイリ原子力発電事故後の、当時の西ドイツと比較しながらお話し頂きました。福島第一原発事故による放射能の大気への放出はチェルノブイリ原発事故の約五分の一だそうですが、チェルノブイリよりも人口密度の高い福島で、放射能よる影響がチェルノブイリよりも低いとは言い切れない可能性があること、そして原子力は核兵器から発展したが故に情報閉鎖という性質からなかなか抜け出せず、原発の安全性を問う機会が失われているといったようなご指摘は、1980年代から一貫して原発や放射能をテーマとした番組生活に携わってこられたという経験から非常に説得力をもって発せられたものだったと思います。七沢氏のお話から、メディアが提供する情報の重要性、またその情報を受け取る側のリテラシーについて考えさせられました。

   3月11日に開催されたシンポジウム「ポスト3.11の日独市民社会」は、登壇者による報告から成るセッション1と、報告への質疑とその応答かつ総合討論から成るセッション2の二部構成で行われました。
 セッション1ではまず、宮城県内の仮設住宅でボランティア活動をされている内尾太一氏(NPO法人「人間の安全保障」フォーラム事務局長)から、「今後の東北復興におけるNPO・ボランティアの課題と展望」と題してNPOとボランティアの活動を被災地の写真と合わせてご説明頂きました。東日本大震災については、しばしば阪神・淡路大震災と比べてボランティア数が少ないと指摘されますが、ボランティア数の差異は集計方法の違いも反映しており、その他にも津波の被害が甚大であった沿岸部へのアクセスの悪さ、原発事故や寒さ、もしくはボランティア活動の組織化など様々な要因が考えられるため、ボランティアへの関心は数の大小では一概に測れないこと、震災直後と現在では求められるボランティアの活動内容に違いが出てきていること、NPO法人として、ボランティアをする人達に支援を続けてもらうために行っている活動など、実際に被災地でボランティア活動に従事されている方のいわゆる「現場の声」を聴くことができました。
 林香里先生(東京大学)の報告「ドイツの原発事故報道を考える:韓・中・独・米4ヶ国報道比較調査より」では、4ヶ国のメディア、とりわけテレビニュースがどのように日本の震災を報道したのかという分析を各国のニュース映像と合わせてお話し頂きました。日本のニュースの情報源の半分以上が政府と東京電力であったのに対して、中国やドイツのニュースの第一情報源は日本政府よりも自国政府である割合が高いこと、アメリカでは日本の一般市民の声が多く引用されたこと、韓国のニュースは他の国と比較して短く「事実」報道中心であることなどを伺い、一見どれも同じ出来事を報道しているように見えるテレビニュースであっても、国によってこんなにも報道の形式や重点が違うものかと驚かされました。また、他の3ヶ国とは異なり唯一ドイツでは各種市民団体の情報が第一情報源として使用されたという点も注目に値するものだと思われます。地理的には日本から遠く離れているにも関わらず、ドイツにおける福島第一原発事故のニュースの7割はその日の第三番目までのニュースとして取り上げられていた(2011年3月中のデータ)とのことですが、韓・中・独・米4ヶ国のうち、2010年と2011年の訪日者数が最も減少したのはドイツであったことや、東日本大震災後の2011年3月27日に行われたバーデン=ヴュルテンベルク州首相選挙にて、ヴィンフリート・クレッチュマンが緑の党出身者として初めて州首相に選出されたことなどからも、メディアが政治や社会に少なからぬ影響を及ぼすことが読み取れると思います。
   それに引き続き、では福島の原発事故はドイツでどのように受け取られたのかという問いに答えて下さったのが、ラインホルト・ザックマン先生(ハレ大学)のご報告「福島の原発事故に対するドイツ市民社会の反応」だったと思います。地震も津波もほとんど起こらないドイツで福島の原発事故が非常な関心をもって注目されたのは、ドイツにおける継続的な脱原発運動、スリーマイルやチェルノブイリの記憶といった、「原発事故が持つ意味を理解するための前提」がドイツ社会に浸透していたためと考えられるようです。ここでもまた、市民社会と政治との関連が取り上げられました。
 核兵器による唯一の被爆国である日本がなぜ原発を推進してきたのかというテーマについて、政治的背景の説明を交えながら取り組まれたのが山脇直司先生のご報告「ポスト3.11の市民社会と新しい公共」であったと思います。「『原子力の平和利用』という言説はヒロシマ・ナガサキを克服するためプロパガンダ的に使われた」という説明を伺い、私個人としても疑問であった、唯一の被爆国でなぜ反原発の流れがメインストリームでなかったのかという問いに対して、納得できる答えがやっとひとつ見つかったように思いました。
 セッション2では、フロアから4名の報告者に様々な質問が寄せられ、震災後一年が経過してもなお、震災や被災地、原発事故とその後の影響や対応への関心が高いことを窺い知ることができました。それ後、ポスト3.11をどう考えるか、東日本大震災後日本社会は変化したかというテーマについての議論が行われましたが、セミナー最終日の山脇先生のお話にあったように、毎春の日独共同大学院セミナー期間と重なるこの日に、震災とその後の市民社会について考えを巡らせ、議論することが、震災の記憶や被災地への関心を薄れさせないことにつながるのだと思います。なお、地震発生時の14時46分には、報告を中断して、約一分間の黙とうが捧げられたことを最後に記したいと思います。
日独共同大学院は2012年9月から新プログラムとして新たな研究プロジェクトを開始する予定ですが、新プログラムにおいても、これまで築かれてきたようなセミナーやシンポジウムなどの学術交流に加えて、日独の学生同士のより活発な交流と各自の研究の発展が期待されることと思います。