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セミナー&シンポジウムの記録

2013年春季・共同セミナーシンポジウム 参加記
坂井晃介 (総合文化研究科 国際社会科学専攻・IGK所属)

1. はじめに

 2013年3月6日から10日にかけて、日独共同大学院(Internationales Graduiertenkolleg=IGK)春期セミナーが東京大学駒場キャンパスにて行われた。本セミナーでは「少数派と市民社会」をテーマとして、歴史学や政治思想史的なアプローチからの報告や講義、学生による研究報告、個別テーマによるワークショップなどが開催された。特にワークショップでは従来ドイツ語と日本語でのディスカッションが中心であったが、新たに英語での議論が加わり、ディスカッションの形式としても従来とは異なる手法が採られるなど、新しい試みが導入された。本参加記では報告及び講義の概要、ワークショップの内容を紹介し、最後に今後の課題と展望を示す。

2-1. 報告(1)

 6日に行われた原田晶子氏(東京大学)による報告は、「中世末期ドイツ都市における社会的アイデンティティ」という題目で行われた。原田氏は、中世末期のドイツの都市において、とりわけ教会への装飾品等を中心とした寄進(Stiftung)に着目し、そこから都市市民の共同体意識を明らかにした。様々な寄進された品や物件及びその変化と都市社会自体の変化の分析を通じて、寄進への動機付けが市民への共同体への所属意識を高めるとともに、その共同体における地位を表明する機能を有しているということが示された。
 原田氏の歴史学的なアプローチに対して、コメンテーターからは都市共同体ごとの寄進メカニズムにおける偏差や、本セミナーのテーマである「少数派」との関連が取り上げられるなど、様々な角度から議論が行われた。またフロアからは、「教会」への「寄進」が有する宗教的な意義や宗教生活の再生産機能に関する理論的な問題が提起されるなど、歴史学にとどまらない、多分野に渡って展開する報告およびディスカッションとなった。

2-2.報告(2)学生報告

 学生報告は発表者の発表言語により分けられ、6日および7日はドイツ側の学生が日本語で、10日は日本側の学生がドイツ語により、次のタイトルで研究発表を行った。
ドイツ側からは、ハイコ・ラング氏による「戦後の外交思想における日本と東南アジアの位置づけ」、カトリン・プロイスラー氏による「村上隆—工房中での巨匠の役割」、フランツィスカ・エーデル氏による「これからの研究について」、マーティン・ワント氏「沖縄戦における戦死者記念碑のランドスケープ」、カロリーネ・ハウフェ氏による「ドイツと日本における市民討議会—討議デモクラシーの1つの市民参加の方法」についてそれぞれ報告が行われた。
 日本側からは、報告として橋本泰奈氏「西ドイツの外国人政策—ナチ時代との連続と断続」、伊藤直美氏「第一次世界大戦におけるドイツのロシア人捕虜」、白鳥まや氏「ガダマーの解釈学における開放性の概念」、長谷川晴生氏「博論の概要」が行われた。

2-3. 講義

 8日にはハラルド・ブルーム教授(ハレ大学)による講義「少数派理解の変化―思想史の観点から」が開かれた。そこでの主題は、今日まで「少数派Minderheiten」を巡る思想史的研究が十分でなかったことに鑑み、それをとりわけ西ヨーロッパにおける「少数派」(とその相関概念である「多数派Mehrheiten」)の理解の変遷として受容し、社会水準でその変遷を探求することである。民主主義の成立と並行して発達した市民社会の高まりから、人々が今まで多数派の社会を自らの関係するものとして認識していたのが、むしろ民族的アイデンティティや宗教的な信仰、ジェンダーを根拠として、少数派として自身を位置づけるようになったというテーゼを、ブルーム教授は、前近代から現在の西ヨーロッパにおける大衆民主主義に至るまで、思想史的にたどりながら示した。
 フロアからは、「少数派」を意味するドイツ語Minderheitenと、一般的に用いられるMinoritätenという語の意味の違いが、主に差別との関連でどのように現れるのかという質問や、現象として少数派による社会が、例えばウォール街選挙デモ"We are the 99%"のような形で成立する際、その前提条件とは何であるかについての議論が展開された。
講義ならびにディスカッションを通じて、思想史的、理論的な問題設定およびその展開と、具体的な社会現象の関連性が常に議論の射程にあり、この「少数派」概念の解釈が同時代的に非常に重要なテーマであることが伺えた。

3-1.ワークショップ(1)―ガンと戦う人のための支援

 7日にはビンジー・コンサルボ氏(NPO Livestrong代表)によるモジュールⅠ「ガンと戦う人のための支援」が行われた。ゴンザルボ氏は本モジュールのコーディネーターである平松英人氏(東京大学)に招待され、「社会的な少数者としてのガン患者」という認識から、ガン患者が直面している社会的な傷痕/スティグマについて講演を行った。講演では、世論調査や統計を利用しながら、人々が抱える「ガン」における様々なイメージやガン患者に対する偏見の問題が提起された。特に日本おいては、マスメディアに現れる「ガン」のイメージが「死」と直結しており、ガンからの回復についての報道は少ないという。また、日本ではガン患者が社会的に差別されているということも重要な点として挙げられた。特に職場で差別を受けたり、仕事をやめさせられたりした人がおり、ガンを感染病と混同している人も少なくないため、こういった「ガン」と「死」に関する短絡的なイメージが、ガンやがん患者に対する理解を妨げているということが指摘された。世界的に見れば、がん患者が抱える問題は各国様々であり、例えば日本では差別、米国では医療コストとして捉えられているという。
 講演後にはディスカッションが以下の形式で行われた。

① 参加者全員にゴンザルボ氏からガンの「診断書」が手渡され、結果(ガンの有/無)によって二つにわかれ、ロールプレーイングをする。
② 診断の結果をもらった感想について、これまでで行ったガンについてのイメージに関する議論を踏まえディスカッションを行う。

3-2.ワークショップ(2)―障害者と市民社会

 9日には稲原美苗氏(東京大学)によるモジュールⅡ「障害者と市民社会」が行われた。稲原氏はまず「障害」の定義について一般的に個人に障害が存在するとされる「医学的モデル」から「社会的な障害モデル」を区別し、後者のモデルを採用することで、障害を社会的な問題と定義した。そのモデルにおける「障害」は価値的中立であり、その改善は個人と社会の間における相互作用にあると主張した。つまり個人における身体的損傷と社会における市民権の拒絶が別物である、という主張である。また、社会的変化(特に寿命の上昇)に伴い、社会で少数派とされている「障害者」がより一般化・普遍化しその意味が希薄化するだろうと指摘された。また稲原氏の個人的な経験を踏まえながら、「障害者」とみなされることによる、オーストラリア・イギリス・日本の三国での日常生活における様々なハードルについての情報が提供された。
 以上のような問題設定から、「障害と社会的な自立」というテーマがさらなる議題に挙げられた。題材として参加者はアメリカのSF映画「ガタカ」(原題:Gattaca)を観賞し、その映画で構想されている、優生学的な技術の利用による「完全な人間・適正者」を作る社会および人間像について議論された。特に重点が置かれたのが、「自立」と「相互作用」の関係である。すなわち、「自立」が「相互依存」(ないし「連帯」)より重視されることによって、自立した人間に当てはまらない人間の排除が必然的に導かれてしまうという指摘である。ゆえに「相互依存」というコンセプトが本テーマにおいて重要であるとの認識に至った。

3-3.ワークショップ(3)

 10日には、梶谷真司准教授(東京大学)をコーディネーターとしてモジュールⅢ「日本の民間伝承における異人論」が行われた。ここでは「よそ者をめぐる殺人Der Mord an dem Fremden」という日本の民間伝承に関する文章を題材として、本セミナーのテーマである少数派Minderheitenに引き付けながら、ドイツ語によるディスカッションが行われた。
 ディスカッションの形式は、次の5つのステップを採るものであった。

① テーマに関する文章(A4一枚・コーディネーター作成)を読み、二人組となりブレインストーミングを行う。その結果を参加者全員が共有する。
② 出てきた様々な意見やコメントを互いに結びつけ、両者に関わるより大きな枠組を設定する。
③ ②を繰り返し、テーマに関する文章から、主要な論点をディスカッションの中から4,5個導出する。
④ ③についてグループに別れ、具体的な討論を行う。
⑤ ④の内容を共有する。

 この討論の中では、日本の民間伝承において、ある共同体の中で「よそ者」がどのような意義・意味を有しているのかということや、「よそ者」を殺害するということがもたらす規範的・道徳的な正/負の影響力などに関して、議論が交わされた。中でも共同体内部で権力を有している預言者(シャーマン)が、「よそ者」の殺害と自然災害の関係を結びつけることにより、共同体内部で自然災害への理由付けがなされる、という文章中のストーリーには特に多くの意見が投げかけられると共に、少数派を巡るセミナーを通じた一連の議論に関連付けて、多彩な討論が展開された。
 この討論形式により、一見関連付けられない雑多な意見を一つの関連項目のもとでまとめ上げ、より大きなテーマとして捉え返すことが可能になり、一参加者の一方通行的な意見表明にとどまらない、インタラクティブな議論が成立した。また、一つの題材として用いられた具体的な日本の民間伝承を巡って討論を交わす事により、それが近代化・市民社会・共同体・道徳性といった抽象的かつ普遍的な現象に強く関わっているということ見出すことができたという点で、実り多いモジュールとなった。

4.総括

 ここまで本セミナーの概要を記してきたが、最後にまとめとして、本セミナーの成果と今後の課題および展望を示し、本参加記を終えたい。

4-1. 成果

 成果として、次の三点を挙げることができよう。第一に、「市民社会と少数派」という形で市民社会を巡る新しい論点が提示されたことにより、議論の幅を大きく拡充することに成功したことである。以前のセミナーでは「市民社会」や「市民」という概念の複数性やその意義に関する議論が中心であり、それらと関連する様々な現象や概念を検討するというプロジェクトはまだ途上にあった。今回のセミナーでその試みに、少数派の在り方やその規範的意義が新たに検討に加えられたという点で、意義があるように思われる。
 第二に、「少数派と市民社会」というテーマを巡って、一貫して多様な事象に対してアプローチすることができたということである。今回のモジュールではこのテーマに関し、「ガンと戦う人々」「障害(社会)」「日本の民間伝承における他者」など、少数派を多様な形でアプローチし、それらの市民社会における重要性を検討することができた。またこれらのモジュール(とりわけⅠ、Ⅱ)では、マイノリティとされる人々の代表者を招待し、彼らの生の声(「物語」)によって、マイノリティが直面している社会問題について考察することが可能となった。
 第三に、新しいディスカッション形式の導入により、議論の成果物を全体で共有することができたことである。報告者は特にモジュールⅢにおけるディスカッションにおいて特に感じたことだが、グループで討論した具体的な内容が全体に吸い上げられ、改めて議論が精錬されていくことができたという点で、当のモジュールの形式は今後も引き継がれるに値するように思われる。

4-2. 課題と展望

 以上のような成果があった一方で、報告者による一意見ではあるが、特にモジュールを中心といたディスカッションに関して課題と思われるいくつかの事項も散見された。ここではそれらについて触れ、今後の展望を示すこととする。
 第一に、具体的なテーマと本アカデミーのより深い関連付けである。「ガン患者」「障害者」「よそ者」など様々な個別テーマについてプレゼンテーションがあり、考察が重ねられたにも関わらず、これらをより客観的/理論的に位置づけるために、且つ「市民社会」というアカデミーのテーマにより有意義につなげることができたとはいい難い。さらなる議論が必要であったと言わざるを得ない。
今後のセミナーおよびアカデミーにおいては、開放的・批判的な議論のために、報告者のプレゼンテーションを引き受けた上で(場合によっては報告者自身を除いた形で)、より「市民社会」という問題系に則した議論の機会が作られるべきであろう。
 第二に、ディスカッションに関する参加者間での理解度のズレである。例えばドイツ語で行われた少人数でのグループディスカッションの中で、少数のドイツ語を母語とする者のみで議論が進行してしまったり、特定の参加者のみが議論を展開してしまい、グループ内で何が問題となっているのかがわからないまま全体ディスカッションへと回収されてしまったグループが散見された。また逆に、ドイツ側の参加者による日本語の報告に対する日本側の参加者によるコメントが、複雑すぎて理解困難になってしまうケースも見受けられた。
 この問題はドイツ語能力・日本語能力の程度に帰される部分も多いゆえに、一定程度許容されうるものでもあるが、「日独共同」大学院セミナーという観点からみても、課題といえよう。特にディスカッション内でのディスコミュニケーションは致命的であるし、セミナー全体での成果の大小に関わることから、参加者同士での配慮や、ディスカッション形式およびルールのさらなる共有と維持が望まれる。