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セミナー&シンポジウムの記録

2014年春季・共同セミナーシンポジウム 参加記
坂井 晃介 (総合文化研究科 国際社会科学専攻・IGK所属)

学生セッション :「市民社会とマイノリティ」
企画と実施から得たもの

 本学生セッションにおいて私は特に第一部の総論の箇所に強く関わった。それゆえ以下では準備段階でのプロジェクトチーム(以下PTと表記)内での議論やその成果について振り返ることとする。
 今回のアカデミーならびに学生セッションのテーマは「市民社会とマイノリティBürgergesellschaft und Minderheiten」であったが、このテーマに関してアカデミーの参加学生の一員という立場から我々がどのようにセッションを組むことができるのか、当初は見当をつけるのが容易ではなかった。そもそもIGKの共通テーマである市民社会についても通時的共時的な学問的蓄積がすでにIGK内外で蓄積されているし、他方マイノリティ研究も昨今盛んに展開されている。その中で必ずしも両者のテーマに通じているわけではない博士課程の学生が主体となり、何を生み出すことができるのかについて、我々(少なくとも私)は多少ならず悩み、PT内部でも様々な議論があった。
 そんななか、我々がまず取り組んだのは、「市民社会Bürgergesellschaft」に関する議論がIGKにおいてどのように展開されてきており、そこでの成果はいかなるものであったのかということを確認することである。そこから、「マイノリティ」に関して、社会学や歴史学等においてどのような先行研究があるのかについて調査し、前者との関係を探った。PT内での議論で出た論点の一つに、IGKアカデミー(少なくともPTメンバーが参加してきたもの)において、「我々はなぜこのテーマに取り組む/まねばならないのか」ということや「このテーマにおいていかなる学問的蓄積が内外であるのか」について充分な事前知識やコンセンサスが採られることなしに、新しい議論に進んでいる傾向があるという点であった。それぞれのディスカッションやシンポジウムにおいては非常に実り豊かな議論が展開されていたものの、その継続性や引き継ぎ方に少なくとも私は疑問を感じていたし、何よりそれぞれのアカデミーの成果を実感しづらいという状況(「結局のところこのような議論はいままでのアカデミー/これからのアカデミーにどのように関係していくのか」)があった。その意味で、アカデミーならびに本学生セッションのテーマにおいて、議論の前提となる部分を固める作業がPTによる準備作業として要請された。
 このような予備調査の成果は次のようなものである。第一に、市民社会という概念は、思想史的にも社会史的にも革命を経た西ヨーロッパにおける構造変動によって生成したことが前提となっており、その意味で東アジアの一国である日本は全く異なる社会的政治的前提をもっていながら、先進国として類似した現代的経験をしていることから、格好の比較対象となるということである。
 第二に、マイノリティという語は、様々な共時的/通時的「社会問題」を論じる際に度々用いられるが、その名指される対象はその時々によって、また日独の該当語のニュアンスによって多様であり得る。それゆえマイノリティの問題を学問的に扱う場合は、それが何をどのような意味で名指す際に用いられているのかを見極めなければならない。第三に、「市民社会とマイノリティ」というテーマ設定は、市民社会の構造変動によって、従来とは異なる形でマジョリティ/マイノリティの線引き問題が生じるという包摂/排除の機制の不透明性という問題に強く関わるということである。それゆえ本学生セッションの総論において、この市民社会の歴史的変動と、マイノリティ概念の多義性を前提に、人々が不可避に関わっている包摂/排除の仕組みを具体的に捉えることを課題として提案した。
 このような課題設定は、二部以降の具体的なテーマ(在日コリアン・LGBT・被差別部落民)における議論の方向性を直接導くものではないが、そのような見取り図をはじめに提案することによって、三部の全体ディスカッションにおいて我々が共通の問題意識として最終的にどこに立ち戻る必要があったかについての指針を与えることができたと考えられる。
 以上のような成果に対し、テーマ設定の恣意性や事前に参照する文献の決定、ディスカッションを円滑にする上でのモデレーション、ドイツ語能力の問題など、たくさんの課題もあげられるが、今後のIGKにおける日本側の学生セッションの際に、この経験が有益なものになることを願っている。