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セミナー&シンポジウムの記録

2014年春季・共同セミナーシンポジウム 参加記
橋本 泰奈 (総合文化研究科 地域文化研究専攻・IGK所属)

学生セッション:市民社会とマイノリティ
部落問題の歴史と現状、その歩みについて

 2014年度春季共同セミナー3日目、学生の企画・運営によるモジュールIII・学生セッションが行われた。私は、プロジェクトチームの一員として学生セッションの企画に携わり、総論・グループディスカッション・全体討論の三部構成において、グループディスカッションのテーマIII・「部落」のモデレーターを担当した。よって以下では、「部落」に関するグループディスカッション、および全体討論での成果について報告する。
 グループディスカッションの課題と目的は、「市民社会とマイノリティ」に関する坂井晃介氏の総論に引き続き、個別のテーマを担当するモデレーターによって選定された参考文献と論点について、参加者の希望に基づきテーマ毎に分けられたグループで議論を行い、その成果を全体討論において発表することであった。テーマIII・「部落」では、次の文献:Ian J. Neary, "Burakumin in contemporary Japan", in Michael Weiner (ed.), Japan's Minorities: the illustion of homogeneity, second edi-tion, New York 2009、黒川みどり『近代部落史―明治から現代まで』(平凡社新書、2011年)を参照し、以下(1)~(5)を論点とした。
 すなわち、部落問題とは―黒川氏の同書によると、明治維新に際し1871年に発布された四民平等を唱える「解放令」以降も続いた封建的身分制度に基づく差別の問題であるが、その(1)歴史と(2)現在について再考し、(3)部落差別が現存する理由と(4)その解決について議論した。また、そこで浮上した疑問点、(5)日独比較の可能性は、全体討論での問題提起とした。議論は上記の順に進められ、「市民社会におけるマイノリティの包摂と排除」から「市民社会の可能性と限界」に至る多様な観点から部落問題にアプローチした結果、以下の結論が導かれた。
 部落問題は、近代社会に根差した問題であるが、出身地や血縁といった本人の意思では変えられない事実による不当な差別と偏見は、近代化を遂げ民主主義を掲げる現代社会にも存在する。すなわち、部落差別撤廃に向けた長年の制度改革と解放運動の成果によって、被差別部落の生活環境や経済水準、就業・就学率など、差別の実態は飛躍的に改善された一方、結婚差別にみられる差別観念は―地域格差もあるが、払拭されなかった。この状況を包摂と排除の観点から捉えると、被差別部落の人びとは、制度や実態の公的領域(建前)では、広範に包摂されるが、自由意思に基づく行動の私的領域(本音)では、未だに排除の対象となり得るのである。
 その一大要因として、部落問題の社会的なタブー視が指摘される。しかしながら、それは、戦後に国家的課題として着手された同和対策事業が、部落問題の顕在化や地域格差を伴ったこと、また、部落差別の不当性を社会に訴え糾すための部落解放運動が、「行き過ぎた言動」によって人びとの恐怖心や忌避感を強める逆効果も生んだことなどの、複雑な状況が絡み合い、解決が困難な様相を呈している。
 この打開策として、他のマイノリティと連帯し、人権問題として部落問題の解決を図る、近年の動向は注目に値するが、部落民に関するケガレ意識や無実無根の人種説を歴史的に醸成・継承してきた、日本社会に特有の問題の解決に必ずしも結びつかない可能性も否めない。そこから浮上した疑問点は、市民社会の可能性と限界、日独比較の可能性である。前者については、部落問題が社会的に形成・維持されてきたことが問題視され、その点で、ドイツにおけるシンティ・ロマの問題が、比較可能なテーマとして提起された。
 以上の議論と翌日の国際シンポジウムにおける黒川みどり氏による基調演説(『日本における部落問題―近現代の歴史をたどりながら』)を通じて、「市民社会/マイノリティとは何か」という問とその理論・方法論的な取り組みのさらなる必要性が、本セミナーの意義と目的、今後の課題としても再確認されたように思う。また、日独双方の参加者が積極的に議論に参加したことで、学生セッションは大きな成果を上げ、有意義な企画となった。